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札幌高等裁判所 昭和41年(う)202号 判決 1967年4月27日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

右控訴趣意第一点(法令解釈適用の誤)について。

論旨は、要するに、地方公営企業労働関係法(以下「地公労法」という。)一一条一項に違反してなされた争議行為については、労働組合法(以下「労組法」という。)一条二項に定める刑事免責を認める余地がないから、被告人らの本件争議行為につき同条項を適用してその違法性が阻却されると判断した原判決は法令の解釈適用を誤つたものである、というのである。右論旨に対し、当裁判所は、次のとおり判断する。

一端的に結論から示せば、地公労法一一条一項に違反してなされた争議行為であつても、右違反の効果としては単に解雇等の民事上の制裁を課せられるにとどまり、それが労組法一条二項に定める労働組合の正当な行為と認められる範囲内にあるかぎり、なお同条項による刑事免責を受け得るものと解するのが相当である。その理由とするところは、基本的には、公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)一七条一項と労組法一条二項との関係についての最高裁判所昭和四一年一〇月二六日大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)における多数意見および裁判官松田二郎、同岩田誠の各補足意見とその志向を同じくするものであるが、本件が右事例と異なる地公労法の解釈に関わる事案であることに鑑み、所論指摘の主要な論点をめぐり、右大法廷判決に顕われた反対意見をも顧慮しつつ、やや詳細に当裁判所の見解を述べることとする。

二所論のうち、原判決が最高裁判所昭和三八年三月一五日第二小法廷判決(刑集一七巻二号二三頁)に牴触するとの主張(控訴趣意第二の四参照)は、右小法廷判決が原判決後になされた前記大法廷判決によつて変更されたことにより、その前提を欠くに至つたものというべきである。もつとも、原判決が、右小法廷判決は本件で問題となつている地公労法一一条一項の解釈についての先例とならないものと判示している趣旨が、公労法一七条一項と地公労法一一条一項とは、その規制する対象を異にするから、その違反行為に対する刑事制裁の有無についても全く別異の解釈によることが可能であるとの判断を前提とするものであるならば、その前提は必ずしも正当であるとは考えられない。蓋し、公労法と地公労法の規制対象が異る結果、争議行為禁止条項に違反してなされた業務の停廃が国家経済と国民の福祉に及ぼす影響の重大性に差異を生ずることは否み得ないにしても、その差異が、一方の違反行為に対しては刑事制裁を以つて臨み、他方のそれに対しては民事制裁を課するにとどめるという程の、重大かつ決定的なものであることについては、十分な論証をなし得ないからである。むしろ、公労法一七条一項違反の争議行為と地公労法二条一項違反の争議行為とは、労組法一条二項の適用に関しては同一の規制に服し、ともに刑事免責の対象となるものと解する方が、右二法律の沿革、法文の立てかた等に照らし、合理的かつ自然な考え方である。もちろん、両者の規制対象の差異に鑑み、地公労法適用の職員に対する労働基本権の制限については一層慎重でなければならず、したがつて公労法一七条一項違反の争議行為につき刑事免責を認める論拠とされる事由は、地公労法一一条一項違反の争議行為については一層強い説得力を以て妥当することはいうまでもない。以下、その論拠について説明する。

三憲法二八条に定める労働基本権が、いわゆる生存権的基本権の一として、憲法二五条の生存権の保障に由来するものであることには異論のないところであろう。憲法は、すべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障し(二五条一項)、国に対し国民生活における福祉の向上、増進に努めるべきことを命ずるとともに(同条二項)、国民に対し憲法の保障する権利は自らの不断の努力によつてこれを保持しなければならないものとし(一二条前段)、国民が自らの努力によつて最低限度の生存を確保し得るように、すべての国民に勤労条件とを保障し(二七条)、かつ、経済上劣位に立つ勤労者に対し実質的な自由と平等とを確保するための手段としてその団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障したのである(二八条)。そして、これらの労働基本権は、ひとしく勤労者である以上、国家および地方公務員ならびに公共企業体および地方公営企業の職員であつても、原則としてこれを享受すべきものと考えられる。もとより、これらの権利であつも絶対無制限のものではなく、国民生活全体の利益の保障という見地からの当然の内在的制約に服するものであり(一二条後段)、また、公務員またはこれに準ずる者については、その担当する職務の特殊性から、私企業における労働者と異る制約を内包し、これらの内在的制約を明らかにするため立法によつて労働基本権の制限を定めることも許されるけれども、それが勤労者の生存権に由来しこれを保障するための重要な手段であることに思いを致せば、立法上および制定法の解釈上の原理として、かかる制限を加えるべき場合の選択および科すべき制限の程度ならびに科された制限に違反した者に対する制裁の処置、ことに刑事制裁を科することについては、いやしくも合理性の認められる必要最小限度を逸脱することのないよう厳に留意すべきものと考えられ、本件で問題の地公労法一一条一項についても右解釈基準に即してこれを解釈する態度が肝要である。

所論は、右と同旨に出た原判決を評して、かかる解釈態度は労働基本権をほとんど神聖不可侵視し、憲法二八条を以つて同一三条および一五条二項より優位とする誤つた思想によるものであると主張する(控訴趣意第二の一)けれども、その当らないことは叙上の説示からして自ずと明らかである。蓋し、個人に与えられた基本的人権と国民生活全体の維持増進とを比較衡量して(その際国民全体の福祉と対比される個人の基本的人権の性質、内容を考慮に容れるべきはもちろんである。)その間に適正な均衡を保つことこそ公共の福祉に最も適合するものであり、両者の矛盾対立ないしその間の優劣を論ずべき性質のものではないし、また、公務員に対し労働基本権を保障しその制限につき厳格な解釈を貫くことが所論の如く「憲法二八条の関係において同一五条二項の規定を変質させ、公務員の『全体の奉仕者』としての性格を喪失させる」こととならないのも自明に属するからである。

四地方公営企業の職員(地方公営企業に勤務する一般職に属する地方公務員をいう――地公労法三条二項。地方公務員法五七条に規定する単純な労務に雇傭される一般職に属する地方公務員であつて、前記職員以外のものについても、これに準ずる――同法附則四項)に関する労働基本権制限の立法の沿革をたずねてみると、(一)まず、旧労働組合法(昭和二〇年法律五一号)下においては、国家および地方公務員は、警察官吏その他一定の職員を除き、一般の勤労者と同様、その労働基本権につき何らの制限を受けることがなかつたのであるが、(二)いわゆる「二・一ゼネスト」(昭和二二年)、「三月闘争」(昭和二三年)に顕われた全官公庁労働組合による労働攻勢の高まりを背景として発せられた連合国軍最高司令官の書簡(昭和二三年七月二二日附、いわゆる「マツカーサー書簡」)に基き昭和二三年七月三一日制定施行された政令二〇一号によつて公務員(任命によると雇傭によるとを問わず、国または地方公共団体の職員の地位にある者――同令一条一項。)は「同盟罷業又は怠業的行為をなし、その他国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議手段」をとることを一切禁止され(二条一項)、これに違反した者には「一年以下の懲役又は五千円以下の罰金」が科せられることとなつた(三条)。右政令の規定は、国家公務員については、同年一二月三日改正施行された国家公務員によつて失効した(同改正法律附則八条)が、地方公務員については、昭和二五年一二月一三日公布(施行は同二六年二月一三日から同二八年六月一三日に亘る。)の地方公務員法附則七項によつて失効するまでの間、存続した。(三)地方公務員法は、職員(「一般職に属するすべての地方公務員」をいう――四条一項)に対し「同盟罷業、怠業その他の争議行為」または「地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為」をすることを一切禁止した(三七条一項前段)点は政令二〇一号と同様であるが、単に争議行為に参加したに過ぎない者に対しては特段の罰則を設けず、その「遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」だけが処罰されることとなつた(三七条一項後段、六一条四号――右禁止規定および罰則の施行は昭和二六年二月一三日)。(四)これより先、日本国有鉄道および日本専売公社の職員については、昭和二三年一二月二〇日公布(同二四年六月一日施行)の公共企業体労働関係法が適用されていたが、講和条約調印に備えた昭和二七年の労働関係法令の改正に際し、公労法の適用がいわゆる「三公社五現業」の職員に拡張されるとともに、地方公営企業の職員についても、新たに地公労法(昭和二七年七月三一日法律二八九号)が制定、施行(同年一〇月一日)されるに至つた。地公労法においては、公労法と同様、職員は一切の争議行為を禁止された(一一条一項)けれども、その違反に対しては特に罰則を設けず、単純な争議行為参加者であると、これを共謀、教唆、煽動、企図した者であるとを問わず、争議行為禁止違反そのものに対しては、同法によつて刑事責任を科せられることはなくなつた。

右にみた立法改正の経過に徴すれば、地公労法適用の職員については、憲法の保障する労働基本権を尊重し、これに対する制限は必要止むを得ない最小限度にとどめるべきであるとの見地から、争議行為禁止違反に対する制裁を次第に緩和して来たことが窺われ、地公労法が、同法一一条一項違反の職員に対し、単に解雇その他の民事制裁を規定するのみで(一二条)、特別の罰則を設けなかつたのは、労働基本権尊重の根本精神に則り、違法な争議行為に関しては民事責任を負わせるだけで足り、刑事制裁は、それが正当な範囲を越えないかぎり、地公労法によると他の刑罰法令によるとを問わず、これを科さないとの基本的態度を示したものと解すべきである。

これに対し、所論は、地公労法が同法一一条一項違反の争議行為について特別の罰則を設けなかつた所以のものは、威力業務妨害罪については刑法二三四条の規定が存するから、これを以つて十分賄い得るとしたために外ならないと主張し、政令二〇一号三条、二条一項違反の罪は刑法二三四条の威力業務妨害罪の特別法に該る旨の最高裁判所昭和三〇年一〇月二六日判決(刑集九巻一一号二三一三頁)を援用する(控訴趣意第二の二の(四)、(五))。しかしながら、右判決は、国有鉄道職員の同盟罷業行為は「本来ならば正当な行為として何ら罪となることはない」旨を明言した上で、政令二〇一号三条、二条一項に刑事制裁の規定が置かれたことによつて本来処罰されることのない共同職場放棄行為が可罰的なものに転化したことを説示し、かく可罰化された同盟罷業行為について、右政令の規定が刑法二三四条の特別法となることを判示しているに過ぎない。すなわち、右判例で重要なのは、本来不可罰的な国鉄職員の争議行為が可罰的違法性を帯びるに至つた契機として、単に右政令二条一項に争議行為の禁止規定が設けられたことではなく、同令三条にその違反行為に対する罰則が定められたことを指摘している点にあるものというべく、かく解すれば、右判決は当裁判所の上記見解と全くその志向を同じくするものといえるのである。そうだとすれば、右同盟罷業行為が刑法二三四条の関係で可罰的違法性を帯びるのは同令三条の罰則の存在を前提としてのことであり、これが廃止された後においては、たとえ同令二条一項の禁止規定のみが他の法律(たとえば地公労法一一条一項)に引き継がれたとしても、その違反行為の可罰的違法性は失なわれると解すべく、所論の如く、特別法である右政令の廃止後は一般法である刑法二三四条による処罰の可能性が当然に復活するものと考えることはできない。そもそも、政令二〇一号三条は、刑法二三四条に対する特別法として、これよりも軽い刑罰を定めていたものであつて、右政令の廃止後地方公務員法三七条一項前段(国家公務員法九八条五項前段も同じ。)および地公労法一一条一項(公労法一七条一項も同じ。)違反の争議行為に対し、特に罰則を設けなかつた趣旨が、従来より重い一般法を復活し、違反者に対する処罰を強化する目的であつたと解するが如きは、さきに法制の沿革でみた労働基本権尊重の理念に基く立法改正の根本精神に背馳するものとして到底容認するに由ないところである。

五そして、地公労法一一条一項違反に対する制裁として、同法一二条一項が「地方公共団体は、前条の規定に違反する行為をした職員を解雇することができる」ものとし、同法四条において争議行為の民事免責を定めた労組法八条の規定の適用を除外しながら、刑事免責の規定である労組法一条二項の適用を排除することをしなかつたのは、当裁判所の上記見解に合致するものであり、地公労法一一条一項違反の争議行為については解雇その他の不利益ないし損害賠償等の民事制裁を課するにとどめ、それが組合の正当な行為の範囲を越えないかぎり、刑事制裁はこれを科さない趣旨を明らかにしたものということができる。すなわち、地公労法一一条一項違反の争議行為が違法であるというのは、民事責任を免れないという意味においてであり、刑事責任の基礎となる可罰的違法性を有するということまで含むものではない(違法概念の相対性)。

所論は、この点について種々の反論を試みており、まず、「ある行為を命じまたは禁止する法規範は、そのような規範違反該当行為に対する否定的価値判断を前提とするところ、右価値判断たるや、当該行為がまさに現行法律の全体系を貫流する『公の秩序、善良の風俗』という根本理念に反するという判断であり、したがつてそれは法律一般に亘つて共通であり、統一的に論ぜられなければならない性質のものである」ことを論拠として、違法概念の相対性という考え方自体を否定しようとする(控訴趣意第二の二の(一)、(二))。かかる見解は、「行為の違法性はすべての法域を通じて一義的に決せらるべきものであり、公労法上違法とされた行為が刑事法上違法性を欠くというがごときは理論上あり得ない」とする、さきの大法廷判決における裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外の反対意見および右大法廷判決によつて変更された前記第二小法廷判決の立場と相通ずるものであり、行為の違法性の判断は、個々の刑罰法規の基礎をなす法規範のみではなく、全体としての法秩序の観点から決すべきであるとする点において、たしかに傾聴に値するものを含むけれども、さればといつて、ただちに、異る指導原理に導かれるあらゆる法域につき違法性を一元的に理解すべきであるとの結論を抽き出さなければならないものとは考えられない。もとより、原判決が違法概念の相対性を説明して「スポーツにおいて、禁止された反則を犯した場合」と刑事上の処罰との関係を引いているのは、単なる比喩以上に出るものではない。しかし、私法上はもとより(前記大法廷判決における裁判官松田二郎の補足意見参照。)、公法上も、行為の違法性の大小に応じこれに結びつけられる法律上の効果は一様ではない(たとえば、行政処分の取消原因としての違法と無効原因としての違法。各種の訴訟手続違背とその効果)。所論は、そのことを自認しつつも、法律上の効果と違法概念の内容自体を異る問題であるという。たしかに、両者は分けて考えるべきであろうが、特定の法律上の効果に結び付けられない違法という観念を抽象的に論ずることは無益である。法律上の効果の差異は、その違法行為に対する法律的な価値評価、すなわち違法性の大小についての法的評価に差異のあることを前提としている。違法概念の相対性とは、この法的評価の差異をいつているのである(ある行為が「違法であるが無効とはならない」というのと、「無効となるだけの違法性を有しない。」というのとは同じことである。)。まして法域を異にする場合、それぞれの法域において問題となる違法性の程度に差異のあることは当然承認さるべきである。とくに、刑罰法規と非刑罰法規との間には、刑罰法規が犯罪の特別構成要件を設定するのに際し、各種の反社会的行為の中から刑罰に値する違法行為を抽出し類型化する過程において、他の法域における違法行為を可罰的違法性あるものと然らざるものとに分別している一事を以つてしても、その問題とする違法性の程度を異にすることが明白である。そして、他の法域における違法行為が、刑罰法規上の可罰類型に一応当て篏る場合(本件の場合がまさにそうである。)であつても、刑罰法規上その実質的違法性が阻却されるか否かは、その行為が他の法域において違法とされているか否かのみによつてではなく、刑罰法規独自の見地において別途に検討されなければならない。このことは、たとえば、民法七二〇条二項に定める緊急避難の要件に合致せず、したがつて民法上は違法として不法行為による損害賠償の責任を免れない行為であつても、それが刑法三七条一項本文に規定する緊急避難に該当するものであるときは、刑法上の違法性を欠くものとして処罰の対象とされないことによつても、容易に首肯し得るところであろう。

所論は、さらに、「違法概念の相対性を承認するとしても、それは、違法概念の法域ごとの縦割的性格を指摘したものであつて、法域ごとの違法概念を横割的に比較した場合に重なり合う部分(各法域においてひとしく違法と判断される部分)があることまで否定し得ず、違法概念の相対性から地公労法一一条一項違反の争議行為が刑法上違法性を欠くとの結論が一足飛びに出て来るものではない。」と主張する(控訴趣意第二の二の(三))。その指摘は正しいとしても、刑法上の違法性はまさにその争議行為が労組法一条二項の正当な行為の範囲内にあるか否かによつて決せられるのであり、原判決はこの点の判断をしているのであるから、原判決には何ら論理の飛躍も混乱もない。

六最後、原判決は、地方公務員法適用の職員との比較において、地公労法一一条一項違反の争議行為の不可罰を論じている(公労法一七条一項の関係において前記大法廷判決における多数意見もほぼ同様の理論構成をとる。)。しかし、地公労法違反の争議行為が地公労法自体によつて処罰されることがないのは、その法文上明らかであつて、敢て地方公務員法との比較を論ずるまでもない。地公労法違反の争議行為が他の刑罰法令に触れる場合であつても、なお処罰されないことを論証するのであれば、地方公務員法違反の争議行為が同法によつてのみならず他の法令によつても処罰されないことと比較する必要があるところ、そのことは、それ自体論証を要する問題であつて、無条件で前提とする訳には行かない。しかも、その論証には恐らく地公労法違反の争議行為についての刑罰免責とほぼ同一の理論構成によることを必要としよう(地方公務員については、労組法の適用がない――地方公務員法五八条一項――から、労組法一条二項以外に論拠を必要とする点が異る。)。原判決の論理は、同一の論拠によつて論証される二つの命題の一方を無条件で他の命題の論拠に利用しようとするにひとしく、左袒するを得ない。もとより、この点を論拠に加えるまでもなく、上述したところにより、地公労法一一条一項違反の争議行為についての刑事免責を認めることができるから、結論に影響はない。

七叙上縷説のとおりであつて、原判決の法令解釈は正当であり、本論旨は理由がない。

右控訴趣意第二点(事実誤認)について。

論旨は、要するに、地公労法一一条一項違反の争議行為につき労組法一条二項の刑事免責を認める余地があるものとしても、被告人らの本件行為は正当性を認められる範囲を逸脱した違法なものであるとして、原裁判所の依つて立つ正当性判断の基準および判断の基礎とした個々の事実認定をほぼ全面的に争い、原判決の事実誤認を主張するのである。

結論として、検察官の右主張は採用できない。以下その理由を述べる。

一本件記録および原裁判所で取り調べた証拠を綜合して認められる本件争議の経過はおおむね原判決理由第二に判示のとおりであつて、これを要約すれば、(一)札幌市役所関係労働組合連合会(以下「市労連」という。)は原判示傘下五単位組合(被告人杉浦正季、同難波年弘の所属する札幌交通労働組合、同山本勉の所属する札幌市役所労働組合を含む。)によつて構成され、その組織、機関、役員等はそれぞれ原判示のとおりであり、被告人三名はいずれも市労連傘下の単位組合の組合員であつて本件当時それぞれ原判示のような組合の役職に就いていたものであるところ、昭和三五年一〇月頃から同三六年末頃にかけて市労連と札幌市当局との間に原判示のような団体交渉が重ねられたが、市労連の坐り込み、デモ行進、リボン闘争、超過勤務拒否等の闘争手段や「労使の話し合いによる早期解決」を謳つた北海道地方労働委員会の調停にもかかわらず、市当局側の態度が強硬でしばしば団体交渉の拒否、引き延し等の策に出たため、多くの懸案事項が殆ど未解決のまま持ち越される有様であり、市議会総務委員会から市長に対し「昭和三七年二月までに問題を解決するよう」時期を限つた勧告まで出されていたが、又しても市長の要望により同年六月まで解決の時期を延ばすこととなつた(以上原判示第二の一および二の(一)ないし(三)参照)。(二)叙上の経緯から市労連は、昭和三七年五月七日市長に対し懸案事項を含め原判示六項目(のちに二項目を追加)から成る要求を提出し、団体交渉に入つたが、市当局は右要求事項中夏期手当増額の点は拒否し、他の事項についても今後努力することを約したのみで団体交渉を打ち切り、同年六月八日当局主張率による夏期手当支給を強行したので、市労連は臨時大会を開き、闘争委員会を設置してこれに市労連の目的を達成するためのあらゆる行動をする権限を適法に賦与し、リボン闘争、坐り込み、定時出退庁、交通部門の時間外勤務労働に関する協定の更新拒否等の挙に出でた。市当局は同月一一、一二、一三日の三日間に亘り市労連の団体交渉申込れを拒否し続けていた(この間、事態を憂慮した市議会公営企業委員会から速やかに団交を再開し「札幌祭」前に問題を解決するようにとの勧告、市議会議長、議会運営委員長、公営企業委員長らから市長に対するあつせんの申入れ等がなされたが市当局の容れるところとはならなかつた。)が、同月一四日午後六時頃からようやく団交再開に応じ、第二助役小塩進作他六名が出席して市労連代表者との間に翌一五日早朝にかけて第一次ないし第五次交渉を重ねたものの、同日午前五時過ぎ市長原田与作出席のもとに開かれた第六次交渉においても遂に解決の糸口が掴めず、交渉は決裂するに至つた(以上原判示第二の三の(一)ないし(三)参照。)。(三)そこで、市労連闘争委員会は対策を協議の末、同日午前六時頃闘争委員長藤田猛から、口頭で全組合員に対し、交通部門における電車・バス乗務員の乗務拒否を主眼とする原判示指令第三号およびこれに伴う当面の行動指示を発した(同第二の四の(一)参照。)。なお、検察官の所論は、右指令第三号に関する原判決の認定を争い、右指令は市労連傘下の全組合員に対し電車・バスの運行を阻止することを命じたものと認めるのが相当であると主張する(控訴趣意第三の二)が、所論の如く≪指令第三号≫と題する文書が、右口頭指令後ただちに作成され、その内容を忠実、端的に記載したものであるとしても、そこに記載された「一五日始発より電車・バスの運転を休止せよ。」との文言が、「乗務拒否」以上の意味をもつもの、すなわち「運行阻止」の趣旨であるとは、素直に理解することができない。右文書には「運転を休止」すべき主体の限定がなく、かつ、団体決裂の経過報告と全組合員に対する団結と統一の呼びかけないし要求貫徹に全力をあげることの要請が併記されていることはまことに所論のとおりであるが、市労連傘下の組合員のうち「電車・バスの運転」に関係のあるのは交通部門における乗務員および乗務員以外で運転資格等を有する者に当然限定されるから、これを「休止」すべき主体を改めて記載するまでもないことであり、また、全組合員に対する要請部分はきわめて抽象的な表現に終始しており、運転部門における争議行為に対する精神的支持および今後発せられることあるべきその他の部門における闘争指令への支持協力を求める以外に特別の意味――たとえば全組合員で電車・バスの運行を阻止すること――を有するものとは考えられない。そのことは、原判示のような組合員の当日の行動や、右指令に基づき他部門の組合員を計画的に運行阻止の目的で動員した事跡を窺えないことに照らしても容易に肯き得るところである。ほんらい、電車・バスの運転業務には一定の有資格者でないと従事できないのであるから、部外者の雇い入れによるスト破りの可能性は尠く、組合員が忠実に乗務拒否の指令を守るかぎり電車・バスの運行を「阻止」しなければならない事態は殆ど起らない筈であり、右闘争指令が、当初から組合員の全部または一部の裏切りを予想してその就労阻止を命じたと解するのは合理的でない。この点の原審認定は相当とすべきである。(四)右闘争委員会の決定に基づき市労連は、同日午後六時二〇分頃、交通部門において乗務拒否を行なう旨を市長に通告するとともに、原判示のような方法でこれを一般市民に報知し、右部門における同盟罷業を決行した。当日の市電・市バスの運行状況および争議終結に至るまでの経過ならびに争議後の団体交渉において市学連の多年の懸案事項がすべて解決されるに至つた事情は原判示のとおりである(原判示第二の四の(二)、(三)および五の(一)、(二)参照。)。

二本件で問題となつているのは、右争議の過程において、被告人三名を含む市労連傘下組合の組合員約四〇名が、同日午前一〇時頃札幌市交通局中央車庫門扉附近で、上司の命令により出庫しようとした組合員吉田稔、同田島信行搭乗の先頭車第二二二号電車および後続車両の進行を約三〇分間に亘り阻止したいわゆる「ピケツテイング」(以下「ピケ」ということがある。)行為」である。その経緯、具体的態様およびこれに関与する前後の被告人三名の行動については、原判決理由第三ににおいてきわめて詳細に説示するところであり、また、その認定については尠からず争いが存するけれども、後記正当性の判断に必要な限度においてその概要を通観すれば、おおよそ次の如くである(なお、被告人三名が本件ピケに関与したこと自体は明らかであるが、その関与の態様、程度、役割については争われている。しかし、ここでは本件ピケ行為そのものの正当性がまず問題であり、これが否定されて違法と判断された場合においてのみ、被告人ら各自の責任が問われることとなるのであるから、この点の判断は暫く措くこととする。)。すなわち(一)前記闘争指令が伝達されるや、既に中央車庫を出庫して営業路線に出ていた電車数台も乗務員の意思で午前六時頃までには全部車庫に戻され、降車した乗務員により中央車庫より営業路線に通ずる門扉が閉鎮された。門扉の内側には、市労連傘下の札幌市役所労働組合建設支部、清掃支部所属の組合員一五、六名(被告人山本勉を含む。以下「市労組合員」という。)がたむろして、出勤して来る乗務員に闘争指令を伝達し乗務拒否に協力するよう呼びかけ、これを諒とした乗務員は前記行動指示にしたがい市内円山隆光寺に赴き、同所で開かれた職場大会に参加したが、この間門扉附近に居た組合員(それが被告人山本勉であつたとしても――控訴趣意第三の四(二)の(3)、趣意書五六丁参照――結論に影響しない。)が乗務員に対する説得に悪影響を及ぼすことを恐れて一条営業所長佐久間三郎その他の役職者が右門扉から入門することを拒否したりした。(二)この事態を知つた交通局長大刀豊から原判示「係員」による電車の運行およびピケの排除方を命じられた電車部長鳥喜三弥は、電車の運行を業務課長浜岡勝良に、ピケ排除を整備課長本間孝一にそれぞれ指示したところ、本間課長は、斎藤清一他四名を警告要員として、交通局長名義の原判示警告板二枚および携帯マイク三個を用い、門扉の外側から、門扉に沿つて内側にほぼ一列に並んだ組合員に対し、この実力行使は違法であるからピケを解いて電車を出庫させるよう警告させる一方、非常ベルの有線放送により組合指示に従い平常勤務に服していた整備課員(いずれも市労連傘下の札幌交通労働組合の組合員)約四〇名を招集してピケ排除に参加するよう促し、これにしたがつた大和田正他数名の者を引き連れて門扉附近に至り、前記警告要員五名の協力を得て、同所附近に居た組合員から何の抵抗も受けることなく門扉を開放した。他方、浜岡課長の指示で交通局中央営業所から派遣されて来た係員二四名(中西正他二、三名を除き前記札幌交通労働組合の組合員)は、佐久間所長から乗車すべき電車の車号、運転系統、方向等の指示を受け、運転要員が組になつて合計一二台の員と車掌要電車に分乗し、門扉を開放されると同時に、運転要員吉田稔、車掌要員田島信行(いずれも組合員)の塔乗する第二二二号電車(以下「二二二号車」という。)を先頭に門扉の方向に向い車庫内各路線から順次発進し、二二二号車は門扉の約四メートル手前まで進行した。(三)門扉附近に居た市労組合員はこれを知るや二二二号車の前面に駆け寄つて立ち塞がり、右吉田等に対し口々に組合指令に従つて電車を出さないよう叫んだが、これを見た佐久間所長、本間課長および門扉の開放に協力した整備課の組合員ら(以下「当局側」という。)は、ただちに市労組合員の手や肩を引つ張り、あるいはその身体を押しのける等して実力で二二二号車の前から排除しにかかつた。一方、本間課長の指示にも従わず、さりとて市労組合員らにも加わらず、去就に迷つていた整備課の組合員約二〇名は、この情景を目撃するや、組合員同士を衝突させるような当局の態度にたまりかね、にわかに組合員としての連帯意識に駆られて二二二号車前に駆け寄り、市労組合員に合流するに至つたため(両者を併せて以下「ピケ側」という。)。これを排除しようとする当局側と揉み合いとなり、互いに「ワツシヨイ、ワツシヨイ」と掛声をかけながら当局側はピケ側を二二二号車の前から押しのけあるいは引き出そうとし、ピケ側はこれをこらえようとして電車の前面に手を突き、あるいは近くの組合員の身体にしがみつく状態が五ないし一〇分分間続いたが、当局側の人数が尠く、引き抜かれた組合員がすぐ他の個所へ行つてピケに復帰することの繰り返しとなつてらちがあかないため、午前一〇時一〇分頃引き抜きは一旦中止され、小康状態に入つた。右小康状態の間、二二二号車搭乗の吉田稔、田島信行らは他の乗務員らとともに三台目の電車に集合し、佐久間所長らから後記第二回目の引き抜きについての指示を受け、一方ピケ側は二二二号車の前でスクラムを組み、労働歌を高唱する等して気勢を挙げていた。なお、前記揉み合いの間、ピケ側の者が吉田稔、田島信行両名に対し暴行脅迫を加え、あるいは当局側の者に対し積極的に押し返したり、殴る蹴る等の所為に出ることは全くなかつた。(所論は、右認定を争い、「(イ)市労組合員は二二二号車が前進して来るのを見て、その前面に駆け寄ると同時に、その進行を阻止しようとして、被告人山本勉等数名の者が電車の前部に両手を突き力をこめてこれを押し返す態勢をとり、その他の市労組合員らはその背後に密接して互いにスクラムを組み、当初から二二二号車の運行を阻止しようとの意図をもつてきわめて積極的な行動に出たものであり――控訴趣意第三の四(二)の(2)、趣意書五二、五三丁、(ロ)整備課の組合員らは被告人杉浦正季の煽動ないし指揮に基づき、当初から同車の運行を阻止する目的で市労組合員のピケに合流したものである――控訴趣意第三の四の(二)の(3)、趣意書五八丁裏ないし六七丁裏」と主張するが、本件記録および原審で取り調べた一六ミリフイルム一巻(証第六号)を綜合検討してみても、(イ)市労組合員らに当初から電車を押し返すような動きがあつたものとは認められない。もちろん、進行して来る電車の前面に立ち塞つたのであるから、最前列に居た組合員がその前部に手を触れて制止するようなことが全くなかつたとはいい切れないけれども、そのようなことがあつたからといつて、それが有無をいわせず進行を阻止しようとする鞏固な意思の顕われであるとは必ずしも考えられない。いずれにせよ、当局側の排除行為が時を移さず開始されているので、それ以後の状況はピケ側だけの行為の結果とは見られない。また、(ロ)整備課の組合員の行動が被告人杉浦正季の煽動ないし指揮に基づくものであることおよびその目的が電車の運行阻止にあつたことについても、縷々の所論にもかかわらず、これを認めるに足りる十分な証拠がない。)(四)前記小康状態の間草島電車部長は大刀交通局長の指示を得て所轄の札幌中央警察署長にピケ排除のための警察官の派遣方を要請し、同部長の指示により到着した警察官と打ち合せた本間整備課長は、検車詰所に渡辺運輸係長らを集め、「このままの状態では警察に入つてもらえない。もつと激しく引き抜きをやろう。」と申し渡し、多少の反対意見を制して、「出庫順位四番目以下の乗務員にもピケ排除に加わらせ、全員でピケ側を東から西に向つて押す」という方針を決定し、出庫順位三番目までの乗務員が再び各自の電車に搭乗した後、午前一〇時二〇分頃佐久間所長の合図により二二二号車の運転手吉田稔においてにわかに同車を約四、五〇センチメートル後退させると同時に、当局側二五、六名でいつせいにピケ側を東から西に押し、あるいはその身体を掴んで引き出す等して排除に努めたため、ピケ側の者はこれに抵抗して電車前面やフツトステツプ附近あるいは近くの組合員の身体にしがみつき、電車前面から排除されまいとし、約一〇分間に亘り再び揉み合い状態が続いた。この間においても前回と同様、ピケ側の者が吉田稔、田島信行の両名に対し暴行脅迫を加え、あるいは当局側の者に対し殴る蹴る等の所為に出ることなく、むしろ、ピケ側と当局側とは顔見知りの者が多く、互いに照れて笑い合つたり、当局側に加わつた小山内義夫がピケ側の被告人難波年弘に対し「お互いに疲れるから休みましようや。」と話し掛けるような場面もみられた。(所論は、これを評して「いわば同僚ともいうべき間柄にある者が相対立する関係に立つたことによる困惑、不安、将来への配慮等々複雑な感情の入りまじつたもの」あるいは「右小山内が被告人難波を刺戟することを恐れて口から出した言葉」であるとし、当時の雰囲気は「表面上はいかにもあれ、その内に潜むものは極めて深刻な緊張感に溢れたものであつた」と主張するが、それがある程度は当つているとしても、なお、そこには、外部からのスト破りや分裂した第二組合員との間における互いに流血をも辞さない憎悪に満ちた対立とは異なるある種の「ゆとり」を見出さざるを得ない。)(五)午前一〇時二五分頃警察官が「違法なピケであるから五分以内にこれを解くよう」警告を発し、一〇時三二分頃機動隊の警察官約六〇名がピケ排除にかかるや、ピケ側組合員はほとんど何らの抵抗を示さず二二二号車前面から退去し、一〇時三四分、同車を先頭とする一二台の電車は順次出庫して営業路線に出た。

三本件の事実関係は右にみたとおりである。原判決は、右のように被告人三名がピケ側組合員約四〇名と共謀し、威力を用いて札幌市の電車運行業務を妨害した行為は刑法六〇条、二三四条の威力業務妨害罪の構成要件に該当する旨端的に判示しているが(原判決理由第四の(一))、この点に全く問題がない訳ではない。蓋し、本件妨害行為の対象となつた札幌市交通局の職員はいずれも地方公務員であつて、その行なう業務ないし業務主体たる札幌市の行なう業務はいずれも「公務」に属するところ、周知の如く、刑法二三四条にいわゆる「業務」の中には公務は含まれない(暴行脅迫を用いて公務の執行を妨害した場合には刑法九五条一項の公務執行妨害罪に問擬すべく、また、公務員に対し暴行脅迫に達しない程度の威力を用いたのみでは、公務執行妨害罪はもとより、刑法二三四条の威力業務妨害罪も成立しない。)とする解釈が一般に行なわれており(たとえば、最高裁判所昭和二六年七月一八日判決、刑集五巻七号一四九一頁その他)、公権力の行使に当る警察官の職務執行等についてはまさしく右のように解すべきであるからである。しかし、国または地方公共団体が非権力関係において恰も一私人と同様に企業主体として経済活動を行なう場合についてまで、つねに右と同一の解釈にしたがわなければならないとするのは明らかに不合理であつて(国または地方公共団体が企業主体であることによつて、その経済生活における人格的法益――業務――に対する刑法的保護が、私企業におけるそれよりも薄くなければならない合理的理由を欠く。)かかる場合における国または地方公共団体の行なう業務は刑法二三四条にいわゆる「業務」に含まれるものと解するのが相当である(同旨、最高裁判所昭和四一年一一月三〇日大法廷判決、刑集二〇巻九号一〇七六頁。福岡高等裁判所昭和三一年六月二九日判決、高裁刑集九巻七号六七一頁。)。従がつて、被告人らの所為は(争議行為の正当性を構成要件該当性の阻却事由とみる立場をとれば格別)、威力業務妨害罪の構成要件に一応該当するものと認められ、原判決の判断は結局において正当である。

四被告人らの右所為が争議行為としてなされたものであることは叙上の経過に照らし明白である(なお、原判決理由第七の一参照。)。そこで、これが争議行為として正当性の認められる範囲内の行為に該るものであるか否かを以下に検討する。

(1)  はじめに明らかにしておかなければならない点は、本件において争議行為としての正当性が問題とされる行為は、当然のことながら右所為すなわち被告人三名を含む市労連組合員約四〇名の中央車庫門扉附近における二二二号車およびその後続車両に対する約三〇分間のピケ行為(以下「本件ピケ行為」という。)に限られるということである。いわゆる「全体としての争議行為」(その意義はやや明確を欠くが、ここでは、「基本的争議行為である電車・バス乗務員の集団的乗務拒否――同盟罷業行為――とこれに附随する補助的争議行為である各個のピケツテイング――本件ピケ行為のほか、幌北車庫におけるものや中央車庫における六一九号車、五六二号車等に対するもの等を含む――とを併せた争議行為全体」の意味で使用する。)は、判断の対象ではない(それは、全体としての争議行為を、本件ピケ行為の正当性判断の資料として一切用いてはならないということを意味しない。)。このことは、起訴状記載の公訴事実に照らしきわめて明白なところである。しかるに、所論は、原判決が正当性判断の前提としてこのことに言及している点(原判決理由第七の二)を捉えて長大な反論を展開している(控訴趣意第三の二)のであるが、右は明らかに原判決を正解せず、正当性判断の対象とその資料となる範囲とを混同するものであつて、採るを得ない。それ故、「原判決は、一方において全体としての争議行為は本件では問題となつていないと称しながら、他方においては本件争議行為の目的につき全体としての争議行為を考慮して判断するという矛盾を冒している」旨の所論(控訴趣意第三の三冒頭)もまた右一の誤解を前提とするものとして排斥を免れない。

(2)  ここで、争議行為の正当性判断の見地からみた全体としての争議行為(ことに基本的争議行為)と部分的、補助的争議行為である本件ピケ行為との関係につき考察してみよう(原判決は、本件ピケ行為の正当性を判断するに際し、まず全体としての争議行為につきその目的および時期を検討し、次いで本件ピケ行為の態様につき検討するという構成をとつており、所論はこれに対し逐一詳細な反論を試みている――原判決理由第七の三、四、控訴趣意第三の三、四)。思うに、全体としての争議行為に含まれる他の部分的、補助的争議行為(他の職場、他の職場、他の時点におけるピケ行為)等の中に仮りに違法と目されるものがあつたとしても、それが本件ピケ行為の正当性にただちに影響を及ぼすことがないのはもとよりのこと、全体としての争議行為中の基本的争議行為(本件では同盟罷業行為)が、何らかの理由で違法であると判断されたとしても、その一事によつて、これに随伴してなされた本件ピケ行為がつねに必らず違法とされなければならない筋合のものではない。その意味では、本件ピケ行為の正当性は、その目的、手段の相当性に照らし、全体としての争議行為の正当性とは一応別独立に判断すべきものであるといえる。しかし、全体としての争議行為(ことに基本的争議行為)の「目的」は、部分的、補助的争議行為の目的を(いわば大枠を篏めるような仕方で)規制するものであるから(たとえば、全体としての争議行為が政治上の主義主張を実現することを目的とするものであれば、部分的争議行為のみが経済上の目的を有するということは通常あり得ない。)、両者は密接な関連を有する。また、仮りに本件における基本的争議行為が当初から電車・バスの運行阻止を目的とするものであるとすれば、それはもはや単なる同盟罷業行為(集団的労務提供拒否)ではなく、業務阻害行為を構成要素とする別種の争議行為と化し、補助的争議行為としてのピケ行為はその中に吸収され、両者は不可分一体のものとして綜合的に判断されなければならない。その意味ではそのような目的によつて規制された基本的争議行為の「態様」如何も、補助的争議行為に対する正当性の判断と無縁ではあり得ない。

これに引きかえ、原判決の掲げる争議行為の「時期」そのものは、全体的考察においても部分的考察においても争議行為の正当性にとつて通常重要な意味を有しない。それは、特定の時期に争議行為が行なわれたことによるその「結果」の重大性ないし意識的にこれを招来した当事者の「意図」の問題に還元して考察するば足りるが、一般に争議行為がきわめて長期かつ広範囲に亘り国民生活に重大な障害を与え、争議権の濫用と目されるような場合(本件の場合はこれに該らない。)を除き、争議行為の「結果」の重大性に影響を及ぼさないし、また、部分的争議行為の結果は、全体としての争議行為の「結果」とは切り離してこれを論ずるのが相当と考えられる。

五かかる見地に立ち、第一に、「本件ピケ行為の目的」を、全体としての争議行為の目的ないし態様との関連において検討してみると、(一)まず、本件団体交渉が札幌市職員の給与、手当、有給休暇その他の勤労条件の改善等、職員の経済的地位の向上を目的とするものであり、従つて全体としての争議行為の目的が、劣位にある組合側をして使用者である市当局との間に失われた実質的平等を回復し、これと対等の立場において右経済的要求実現のための団体交渉を果させるにあつたことは明白である。所論はその点を認めつつも、原判決が右要求は「市当局に無理難題を強いたものではなかつた」と評価する点(原判決理由第七の三の(一))を捉えて、祭礼の当日足を奪われた市民からの苦情に接した市当局としては、企業の正常の運営を確保し、住民の福祉の増進に資すべき責任上、「組合側の違法な態度に痛憤しながらも、その力関係からやむなく、理事者として当初予定した市政についての施策の一部を変更し、そこから資金を生み出して組合側の要求を受け入れざるを得なくなつたことが十分に推測される」から、組合側の要求が過大なものでなかつたとはいい得ないと反論する。しかし、一般に要求の過大なことはただちに争議行為を違法ならしめるものではないばかりか、本件においては、原判決の指摘するように、要求事項と妥結内容との比較からその過大でなかつたことが十分に看取されるし、所論の如く、市当局が組合の要求を容れたことによりその財源の捻出に苦慮した形跡が多少なりとも窺われるとしても、そのような事情から右要求が過大で違法であるという結論を導き得ないことは、地公労法一〇条が「地方公営企業の予算上又は資金上、不可能な資金の支出を内容とする」協定の締結されることすら予想しており、しかも、かかる協定についても議会の承認を条件にその効力を是認していることに徴しても、容易に肯き得るところである。(二)次ぎに、本件の基本的争議行為は、右にみた如く、「組合員の正当な経済的要求のための団体交渉における労使の実質的対等を確保すること」を目的としてなされた、電車・バス乗務員による集団的乗務拒否すなわち同盟罷業行為であり、その補助的争議手段としての本件ピケ行為の目的は、「争議脱落者の就労により、組合の団結が紊され、右同盟罷業行為がその実効を失うに至るのを防止すること」にあつたものと認めるのが相当である。所論は、前記指令第三号文書の記載文言の解釈や、被告人山本勉を含む市労組合員または同杉浦正季らを含む整備課組合員の行動等を根拠として、本件ピケ行為は、右指令に基づき、もつぱら電車の運行を実力で阻止することにより、札幌市の業務運営を阻害することを目的としたもの(そうだとすれば、その行為は、さきにみたように、単なる同盟罷業行為の補助的手段ではなく、業務阻害を内容とする別種の争議行為の構成要素としてこれと不可分の一体をなすものであり、これに争議行為としての正当性を認めることは困難である。)であるかの如く主張するが、さきにそれぞれの個所において説示したように(本判決一の(三)、二の(三)参照。)。記録上右主張を肯認するに足りる証拠はない。却つて、(イ)運行阻止そのものを目的とするのであれば、ピケツテイングの方法によるよりも、電車の運転に必要なエアーハンドル、レバーシングハンドル等の道具(乗務係において保管)を持ち出し、隠匿する等の方法による方が(それが犯罪行為となることは別論として)遙かに簡便かつ確実であるのに、そのような争議手段をとつていないこと、(ロ)闘争委員長である藤田猛自身、闘争委員会としては「職制等が電車を出した場合には放置してよい」という考えを持つていた旨証言しており、当日午前六時過頃営業路線から中央車庫の車庫線に入る附近で一条営業所長佐久間三郎が乗務拒否のため回送されて来た第六一九号電車の乗務員にハンドルの引渡しを求めたところ素直にこれに応じ、同所長が、途中で乗車させた係員岩重一志とともに、自ら乗務して一系統の路線(一条橋、円山間)を一巡し、午前七時頃中央車庫に戻るまでの間、組合員から何らの妨害をも受けなかつたこと、等の事情は、前示認定すなわち本件ピケ行為がもつぱら組合員中の争議脱落者の就労により、組合の団結が弱められ、同盟罷業行為の効果が減殺されるのを防止する目的であつたことを裏付けるものといわなければならない。さらに、(ハ)原判決の説示するように本件ピケ行為が突発的、非計画的なものであること(原判決理由第七の四の(3)前段)も、それが当初から争議行為の構成要素として計画されていたものでなく、あくまで基本的争議行為である同盟罷業行為の実効性を担保するための補助的性格を有していたことを示すものとして、本件ピケ行為の目的との関連において把握する必要がある(原判決は、これをピケ行為の態様として捉えているが、行為態様だけの問題としては、それが計画的であるか偶発的であるかは必ずしも争議行為の正当性に影響を及ぼすものとはいい得ない。)。以上を要するに、本件ピケ行為は直接には争議脱落者の就労から組合の団結を守り、同盟罷業行為の効果減殺を防止することを目的とし、究極においては、同盟罷業によつて労使の実質的平等が確保された団体交渉の場において組合の正当な経済的要求の実現を図ることを目的とするものというべく、かかる目的は争議行為の目的としてまさに正当なものと認められる。

六第二に、「本件ピケ行為の態様」の点から、その正当性を検討してみよう。

(1)  同盟罷業行為が使用者に対する集団的労務提供拒否をその本質とし、憲法の保障する労働基本権に基づく正当な争議行為であることはいうまでもない。これに附随し、その実効を失わせないためにする補助的手段としてのピケ行為も、その目的において正当と認められることは右にみたとおりである。しかし、たとえそれが憲法上の権利に由来し、その目的が正当であるからといつて、いかなる手段、方法によつてこれを行なつてもつねに違法でないということはできないのであつて、そこにはおのずから一定の制約の存することを認めなければならないが、反面、これを余りに制約することによつて憲法の保障を有名無実のものとするような解釈をとることも厳に慎まなければならないところである。かかる見地からピケ行為の手段、方法につきその許される限界を考えてみるのに、労組法一条二項但書所定の「暴力の行使」を伴う場合、あるいは企業財産に属する機械、設備その他の物件を破壊もしくは奪取する等、ひとしく憲法上の保護を受ける使用者の財産権の直接かつ著るしい侵害を伴う場合にこれが違法とされるのは勿論のこと、同盟罷業行為は労働者が団結してほんらい自己に属する労働力を使用者に供給するのを停止するものであるところ、使用者がこれに対抗して自らまたは他に労働力を求めて操業を継続することは(これを不当労働行為として禁止する立法をもたない我国においては、労働協約において制限しないかぎり)経営権の行使として当然許されて然るべきであり(ことに、住民の福祉増進に資することを建前とする地方公営企業にあつては、企業の正常な運営を最大限に確保することの必要性は高い。)。また、これに応じて就労しようとする者の勤労の権利ないし意思活動の自由も保護に値する法益と考えざるを得ないから、たとえ正当な争議行為である同盟罷業行為の実効性を担保する目的を以てするのであつても、これらの権利ないし自由を実力に訴えて一方的かつ完全に排除することは許されないものというべきである。したがつて、右目的によるピケ行為の手段、方法は、罷業に代つて就労しようとする者に対し、争議の趣旨を訴えてその翻意を求めるための説得活動を基調とするものでなければならないと解するのを相当とするが、争議行為は、そのなされるに至つた経緯、状況、対象等において多彩であり、相手方または第三者の態度、行動に即応して流動性に富むものであるから、具体的事例において如何なる範囲の行動が右説得活動として許容されるかは、かかる諸般の事情を綜合してこれを決しなければならない(最高裁判所昭和三三年五月二八日判決、刑集一二巻八号一六九四頁)。

(2)  所論は、この点に関し、多数の判例を引用しつつ、ピケ行為の正当性の限界については、ピケ行為は平和的説得を越えない限度においてのみ正当であるとするいわゆる「平和的説得」の理論が最高裁判所、下級裁判所の幾多の判例を通じて形成され確立された判例法理となつていると主張する。なるほど、従来の判例においてピケ行為の限界に関し「平和的説得」という字句がしばしば使用されていることは所論のとおりであり、また、行政解釈の面において政府筋の見解としてかかる表現が繰り返されていることも弁護人所論の如くであるが、そのいわんとする内容は必ずしも一様ではなく、ことにその「平和的」なる観念については再思の必要がある(もともと、「平和的説得」の理論は、憲法上労働基本権の保障規定を有しないアメリカにおいて、ピケ行為の合法性を承認するため憲法上保障された「言論の自由」を根拠として判例上展開され、確立されるに至つたものであつて、職業的スト破りの雇い入れ、輸送等が制定法によつて禁止され、労働組合による労働力市場支配が我国に多い企業別労働組合に比して遙かに強力であり、かつ、労働者、市民の間にピケライン尊重の慣行が成熟し、したがつてピケ行為は同盟罷業行為よりはむしろボイコツトの補助的手段として顧客、一般市民を対象としてなされることの多いアメリカにおいてはまさに妥当な法理であり得ても、これを、労働基本権に対する憲法上の保障を有し、また、労働争議の歴史的、社会的諸条件を異にする我国にそのまま適用することにはいささか疑念を禁じ得ないが、この点は暫く措く。)。そもそも、「説得」という観念自体、「強制」と対するものであつて、「平和的」という語を冠することは、同義反覆に近い。それにもかかわらず、殊更に「平和的」という限定を付するからには、これに何らかの意味を持たせているものとみなければなるまい。そこで、(一)「平和的」ということが「暴力の行使はおろか、暴行脅迫に達しない程度の威力、さらには名誉毀損、侮辱に亘る言葉等、一切の可罰類型に該る行為を伴わない」という意味であるとすれば、それは最早争議行為の正当性判断の基準としての機能を有しない。蓋し、その判断は、争議行為が特定の犯罪構成要件に一応該当する場合につき、その実質的違法性の阻却を問題とするものであるところ、その基準として、その行為が一切の構成要件に該当しないことを要求するのは矛盾であり、かかる基準を弄ぶのは言葉の遊戯でしかあり得ないし、(二)反対に「平和的」とは、その対義語である「暴力的」でないと意味を有するにとどまるとすれば、これまた正当性判断の基準としてあいまいといわざるを得ない。蓋し「暴力的」という言葉が「暴力の行使」を伴う場合だけを指すのか、「それ以外の物理的勢力の行使一切」を含むものか不明確であり、仮りに前者であるとすれば、それは労組法一条二項但書によつて正当な争議行為でないことは明らかであつて、殊更に基準として掲げるまでもないことであり、後者であるとすれば、それは結果的には右(一)の立場に近似し、同様の批判を免れないであろうし、両者の中間に妥当な限界を劃そうというのであれば、単に「平和的」、「暴力的」というだけでなく、他にこれを区別するための何らかの基準が必要となつて来るからである。(三)このように考えて来れば、「平和的」ということは「説得」の限定としては不当であるかまたは無意味であるといわざるを得ない。ピケ行為の正当性の限界は、説得活動が「平和的」であるか否かによつて決せられるのではなく、さき (1)において述べた如く労働基本権尊重の憲法の精神に則り、労働争議の多様性、流動性に着目しつつ、諸般の事情を綜合してこれを判断すべきものと解する(かかる意味における「説得」に修飾語として「平和的」の語を冠するのは論者の自由であり、強いて反対するものではないが、これが正当性判断の実質的基準を示すものであるかの如き錯覚に捉われるのは相当でない。)。

(3)  かかる見地から本件ピケ行為の実情をみるならば、(一)まず、原判決の指摘する如く、これが組合員でありながら闘争指令に反し、当局側の指示にしたがつてピケラインを突破しようとした二二二号車の運転要員吉田稔に対するものである点に留意しなければならない(原判示第七の四の(1)。なお、同車車掌要員田島信行に対する説得の趣意も含まれよう。また、阻止の効果は後続車両全部に及んでいるが、その乗務要員は殆ど組合員であり、先頭車の乗務要員が説得に応じて下車し、またはこれに応じないで出庫した場合には順次説得の対象となることが予定されていたと考えられるし、中西正他二、三名の非組合員が含まれていたとしても、多数組合員に伍してこれと同一歩調をとる以上、説得の関係において組合員と同列に扱われることは甘受しなければならない。)。かかる争議脱落者による就労は、憲法に保障された組合の団結権に対する直接の脅威であるばかりか、争議参加者に与える心理的影響(連鎮的に争議脱落者の続出する危険すら含まれる。)の甚大なことは、役職員等の非組合員または部外者による就労の比ではなく、同盟罷業の実効性を損う程度はきわめて深刻である。しかも、争議脱落者によつて提供される労働力は、同盟罷業行為の開始によつて使用者側においてほんらい利用し得ないものとなつたのであつて、これが就労を阻止されたからといつて、同盟罷業の開始によつて労使間に形成された勢力の均衡が破られることは全くないのである。されば、組合側としては、争議脱落者に翻意を求めるための説得活動は、他の者を対象とする場合に比しある程度強力にこれを行ない得るものと解すべく、場合によつては、暴力の行使に亘らず、説得の手段として社会通念上相当と考えられる範囲において、説得の機会を得るために相手方を物理的に阻止することも許されるものといわなければならない。そして、同盟罷業が正式な組合機関の決定によるものである以上、それは同時に組合員個人の意思でもあるから、争議脱落者において、自らの意思に基いて決定した同盟罷業を自ら破ろうとする行動に出るからには、単に説得に応じない意思を表明するだけではなく、何故に自らの意思を翻えし、組合の統制を紊すような行動をとらねばならないかを弁明すべきであり(それは、争議脱落者の意思の表明を強制することにはならない。単に説得者側において弁明があるまでは説得を続けることができるというだけである。)。説得者側としては、争議脱落者が説得に応ずるか、あるいはこれに応じない理由を弁明して説得者側を納得させるまでは、不当に長時間に及ばないかぎり、説得を続けることができ、そのために前記程度の阻止を継続することも許されるものと考えられる(この点について、所論は、本件闘争指令は少くとも民事上あるいは労働法上違法なものであるから、吉田稔らにおいてこれに拘束されるいわれはないと主張する。なるほど、労働法上の関係において、たとえば指令に違反したことによる組合からの除名等が問題となるときは、右指令が地公労法に違反することを考慮しなければなるまい。しかし、本件では、吉田稔が右指令に違反したことではなく、指令違反の同人の行動に対する被告人らの説得活動が刑罰に値するか否かが問題とされているのであるから、右指令の民法上あるいは労働法上の効力は問題とならない。)。(二)さらに検討を進めてみると、(二)吉田稔が電車を運転してピケラインを通過しようとしたことも当然考慮に容れなければならない。一般に、相手方が高速度交通機関に搭乗し、かつ、そのこと自体によつて就労の意思を表明している場合には、単に口頭で説得のための停止を呼びかけることは殆どその効果を期待し得ないから、その前方に立ち塞がる等の方法によつてこれを一時停止させることに、前記説得の手段として相当な範囲を越えるものとは認めらなない。その際電車の前面に手を触れるようなことがあつたとしても同様である。勿論軌道上に障害物を設置し、ポイントを反位にする等、説得終了後ただちに進行を再開できないような状態を作出することは、多くは説得の手段と認められないであろうし、仮に認められたとしても相当な手段とは考えられない。この点で、本件において中央車庫の門扉が閉鎮されたことが一応問題になるが、これは、営業路線に出た車両が全部戻され、さし当り出庫予定の車両もないことから閉鎖したまでであつて、出庫阻止の目的によるものでないことは、後刻本間課長らがこをを開放したとき、組合員から何らの妨害も受けなかつたことに徴し明らかである。(三)そして、右阻止行為がなされたのは、二二二号車が営業路線に出る前の車庫内であつて、同車に乗客はなくまた、組合員らの行為が一般道路交通の障害となるようなこともなかつたし、その人数からさても吉田稔らに恐怖を覚えさせるような多勢(いわゆる「マス・ピケツテイング」)ではなかつた。(四)ところが、市労組合員らが説得のため二二二号車の前面に立ち塞がるや、殆ど説得行為に出る暇もないうちに、本間課長らが実力による引き抜きを開始したのであるから(これに応じて電車前面から退去すれば、説得の機会は失われる。)、ピケ側がこれに抵抗して引き抜かれないとしたのは当然のことであつて、引き抜き側に対する積極的加害行動に出ることなく、消極的抵抗に終始したものである以上(警察官による排除行為に対しては殆ど抵抗していない。)、これを違法視するに当らない。(五)そして右説得活動は、引き抜きに対抗しての揉み合いの時間を含めても前後約三〇分間(しかし、前示小康状態の間は、吉田稔らにおいて電車を運行しようとする行動に出ていない。)に過ぎず、不当に長時間に及ぶものということもできない。これによつて吉田稔らが賃金カツトその他の不利益を受けたことの証拠はなく、また、市当局が蒙つた損害が約一七、三五八円の得べかりし利益の喪失として一応算定されることは原判示の如くであるが、同盟罷業の開始により、吉田稔らの労働力はほんらい利用し得ないものとなつていたことを考慮すれば、右損害は同盟罷業行為による損害の一部であつて、本件ピケ行為自体による損害は皆無とも考えられる。同様に一般市民に与えた影響も、本件ピケ行為自体によるものとしては殆ど考えられず、全体としての争議行為の影響も、本件争議行為を違法ならしめる程重大であつたとは認められない。(六)以上を綜合して判断すれば本件ピケ行為は、その態様の面においても、正当性の限界を逸脱するものとは認められない。

七叙上の次第であつて、本件ピケ行為は、その目的、態様(手段、方法)に照らし、憲法の保障する労働基本権の行使として、正当な争議行為と認められるから、その実質的違法性を欠き、被告人三名につき他約四〇名との共謀による威力業務妨害罪は成立しない。これと同旨に出て被告人三名を無罪とした原判決に所論の事実誤認はなく、本論旨も理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九八条により本件各控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。(斎藤勝雄 中村義正 半谷恭一)

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